軽井沢の工事の帰り道、
エンジンの調子が悪い工事車をいたわりながら
なるべく低負荷で上信越道を走っていると、
電光掲示板が埼玉との県境で20キロ以上の渋滞を知らせていた。
水温が上がる渋滞はまずいなと思いつつ、
ふと、渋滞区間に下道を走れば東松山市を通過することに気づいた。
『シモジマ荘へ寄ってみよう』
この道を走るたびに、思い出深い街の名前に郷愁を感じつつ、
寄ることが出来なかった街。
帰りは遅くなるけれど、そんなことも正当化できる理由を得た気がして、
僕は花園インターで高速を降りた。
その街に住んだのは大学に入った年の、ほんの一年間。
カギは掛かるが開いてしまう、築ウン十年の木造平屋のアパートで、
バスとトイレは共同。
月13000円の家賃はバブルで地価が高騰していた当時の日本では考えられない価格で、
『駐車場より安い』と友人に笑われた。
部屋は5部屋。
皆、同じ大学の学生で、2年生のウエキさんとイシバシさん、
同級生のアシカガとタカツキ、そして僕の5人が住んでいた。
ウエキさんは寮長のような存在で、CCBのドラマーのような髪形と眼鏡をかけ、
いつも下ネタを話して皆を笑わせていたが、いつも誰かを気にかけていた。
長身で少しクールなイシバシさんは、
そのキャラクターとは裏腹に、どこか乱雑なところがあった。
シモジマ荘のガスコンロは、コックを捻ってマッチで付ける前昭和的なもので、
ある日、イシバシさんはコックを捻ったままテレビのチャンネルを回しに行き、
散々どの番組ににしようか迷った挙句、コンロに戻ってマッチを付けた。
あの時、確かにシモジマ荘は基礎から5cm浮いたと思う。
アイドルオタクのタカツキは、部屋がそれ系の雑誌で埋められていた。
それも雑誌別の発行月順に。
黒縁の眼鏡をかけ、ボソボソと話すが、
話し相手を見ているのは最初だけで、途中からは目の前のコタツを見ていた。
当時、女優の深津絵里がデビューしたばかりで、僕は彼女の大ファンだった。
彼女は高原里恵という芸名も持っていたが、この二人は別人とされていた。
僕はタカツキの前で、それぞれの魅力を話し、
どちらが好きか迷うよなぁと、それとなく彼に意見を求めた。
タカツキは黒縁の眼鏡を上げ、私の顔を横目で見るとこう言った。
『サイトー、あの二人は同一人物だ』
僕はまるでMMRのキバヤシのように驚いた。
『事務所の戦略だな』
その理由を彼は丁寧に説明してくれたが、
コタツに向かった小声では聞き取るのが難しかった。
アシカガは本当に真面目で、優しく、思いやりのあるヤツだった。
当時、貧乏だった僕らはコンビニのお弁当を買うことがままならず、
よく5人でお金を出し合ってカレーを作った。
そんな時でもアシカガはジャガイモを真四角に、且つ均等に切っていた。
怒ることがまずない温和な性格だったが、
一度だけ本気で怒らせてしまったことがある。
テレビの無いアシカガは、僕がセブンイレブンの夜中のバイトをしている間、
僕の部屋でテレビを見ていた。
それより以前、僕は彼に、浪人時代に友人とキャンプに行った時の
心霊現象のことを話をしたことがあった。
バンガローの壁を誰かに夜中じゅうノックをして回られたという話で、
友人のツバキがドアノブを握り、ノックが起きた瞬間に開けたが、
そこには誰もいなかったという結末に達した時、彼の恐怖も頂点に達していた。
ある日、僕が明け方にバイトから帰ると、
足音で気づいたアシカガが部屋から飛び出してきた。
『サイトー、ノックが、ノックが来たんだよ~』
アシカガは一睡も出来ずに僕を待っていたらしい。
その日の晩、僕は彼が電気を消したのがガラス越しに分かったその時に、
隣室の彼の壁をトン、トン、と2回ノックした。
彼が本気で怒ったのはその時くらいだ。
サイトーはどうしようもないヤツだった。
『体育の授業の選択は早い者勝ちだから絶対にその日は寝坊するなよ』と
あれほどウエキさんに言われていたのに、ガッツリ昼まで熟睡した。
教務課で『柔道と剣道とレスリングが残っているけど、どれがいい?』と聞かれて
『どれも嫌です』と答えたが、一笑に付された。
柔道の授業にはオリンピック候補選手がいて、
柔道部の顧問の先生に『お前、背が高いからコイツと乱取りしてみろ』と
体重別のスポーツを教える人とは思えないことを言われた。
『嫌です』と言ったが一笑に付された。
『オス!』
『いや、オス!じゃなくて…』
高校時代の授業を思い出してつい大外刈りを掛けにいったら、
彼の体が本能で反応したらしく、とんでもない速さで畳に叩きつけられた。
それから1週間、僕は肋骨の傷みに耐え切れず、
シモジマ荘で皆の介護を受けながら、寝たきりの生活を送る羽目になった。
一般教養の授業では、誰でも絶対に単位をくれるという
生物学の授業を落としそうになった。
先生から『シダの標本を見て、この資料から名前を見つけ出してくれ』と、
研究の手伝いと言う名目の罰ゲームをさせられることになった。
『全部同じにしか見えないのですが』と言ったが一笑に付された。
サイトーの思い出は本当にこれくらいで、
その他に思い出せるようなことはあまりない。
友人と喧嘩したとか、恋人が出来たとか、どこかを旅したとか、
サークルに入ったとか、カラオケに行ったとか、スキーをしたとか、
シモジマ荘で過ごした一年間は、そういう特別な思い出の無い一年間だった。
若松町という町名だけを頼りに、僕は車を走らせた。
当時、バイトをしていたセブンイレブンを探したものの、
グーグルマップで検索しても出てこなかった。
スズキのディーラーが遠くに見えた時、
近くにあったことを朧げに思い出し、
ふと右を見た時にレンガの外観のコインランドリーが目に入った。
僕がバイトをしていたセブンイレブンだった。
上の階にはオーナーさんが住んでいたはずだが、
誰かが住んでいるような気配はなかった。
右折した空き地に車を止めて、
確かセブンイレブンの裏の最初の路地をどちらかに曲がった所だったなと、
記憶を辿って歩いてみたが、シモジマ荘の面影はどこにも無かった。
当時でも『建っているのがやっと』の建物だったし、
大家さんは高齢だったので、残っているはずもない。
それは予想されたことではあったけど、なんだかとても残念だった。
いつも何かに熱中していないと気が済まない僕が、
唯一何もしていなかった一年間。
当時の僕はそんな時を過ごしてしまった焦りから
もう一度自分のやりたいことを考えるようになるのだけれど、
今思うと、何を以て『良い時間を過ごした』と結論付けるかは、
過ごし方とは無関係な気もする。
自分にとっては『煮ても焼いても食えない一年間』と思っていたけれど、
そんな時間の方が、大人になって大切に思えたりするものなのかもしれない。