2014年10月12日日曜日
C様チェック中
どのお客様の時もそうなのですが、
仕上がり寸法を出す時は、一旦、基準に則って機械的に算出します。
その後、『この窓はこういう特徴があるから取付位置を変更しよう』とか、
『このカーテンはこういう特徴があるから少し幅を足そう』という風に、
各窓・各生地によって修正していきます。
この方が間違いがなく、
修正した寸法の理由が印象に残るので確認や工事の際にも良いのです。
C様のカーテンも最初の状態から数か所修正しました。
出来上がりを見てもその差が分からないようなことばかりですが、
そういう積み重ねが全体の印象に影響します。
2014年10月9日木曜日
展示会へ行って来ました
今日はカーテンメーカーさんの新作発表会で
豊洲の川島織物セルコンさんのショールームへ行って来ました。
一通り見終わった後にオリジナルブランドのスミコ・ホンダのコーナーへ行き、
担当の説明員の方からお話を伺っていたところ、
デザイナーの本田純子さんご本人から声を掛けて頂きました。
『ご覧いただいてありがとうございます』と、とても丁寧にお辞儀をされるので、
僕は冷や汗かきまくりの緊張しまくりで、
(本田さんの生地はスミソニアン博物館に収蔵されるほどスゴイのです)
『いや、もう全然売っていないのに…申し訳ありません』とオドオド。
すると『そんなことありません。真剣に聞いて下さっていたのが嬉しいんです』と
とても優しい笑顔でおっしゃるのです。
素敵!
本田さんは当店でノベルティとして使っている南三陸ミシン工房にも生地を提供されていて、
東京での活動発表の場にも来てくださったことを同工房の熊谷代表から聞いていました。
そんなお話をしたところ、『実は震災復興を機に生まれた生地もあるんですよ』と教えて下さいました。それはパープルのグラデーションが鮮やかな遮熱レース。
生地の風合いを重視する本田さんのシリーズの中では異色の機能レースです。
震災を機に重視されるようになった省エネ対策品に、
カーテンとしての魅力を吹き込んだ本田さんならではの生地です。
最後の最後でこんな素敵なお話が聞けて、なんだか夢うつつで会場を後にしました。
2014年10月8日水曜日
2014年10月7日火曜日
O様のレース
ゴブラン織りのソファとアンティーク調のキャビネットをお使いのO様。
それだけなら少し重厚感を持たせたクラシカル調なのですが、
女性お一人でのお住まいですので少しエレガントに振りたいところです。
O様のイメージでちょっと可愛らしく、でもきっちり大人のイメージで。
編みレースはゴブランに合わせて『ペタン』ではなく『モワッ』とした感じ。
合わせるボイルも『サラッ』ではなく、少しだけボリューム感のある『ザラッ』で。
現物は写真よりもかなりイイ感じです。
気に入って頂けると嬉しいのですが。
2014年10月6日月曜日
クリームパンの人
コンビニでは既にお歳暮商戦が始まっているようですね。
お歳暮と言えばハムの人ですが、
横浜市のI様は僕の事をクリームパンの人と記憶されていると思います(笑)。
設備機器の説明が長引いていたので、
玄関に置いた鞄の中にクリームパンを入れていたのを思い出し、
少し離れた場所に止めた車中で食べて待っていようと扉を開けたその時!
担当営業のSさんが一瞬早く扉を開けて『クリーム』と言うので、
僕は自分がクリームパンを食べようとしえいるのをSさんに見透かされたのかと思って、
とってもびっくりしてしまいました。
理由をお話したらすっごく笑われましたが(笑)。
いや、だってびっくりしますよ。よりによってクリーム!ですから。
Sさんはクリーム色のカーテンと言いたかったというオチでした。
せめてクロワッサンならもう少しカッコ良かったのに…(そこじゃない?)
さて、そんなI様の現場の進行状況のご報告です。
お歳暮と言えばハムの人ですが、
横浜市のI様は僕の事をクリームパンの人と記憶されていると思います(笑)。
設備機器の説明が長引いていたので、
玄関に置いた鞄の中にクリームパンを入れていたのを思い出し、
少し離れた場所に止めた車中で食べて待っていようと扉を開けたその時!
担当営業のSさんが一瞬早く扉を開けて『クリーム』と言うので、
僕は自分がクリームパンを食べようとしえいるのをSさんに見透かされたのかと思って、
とってもびっくりしてしまいました。
理由をお話したらすっごく笑われましたが(笑)。
いや、だってびっくりしますよ。よりによってクリーム!ですから。
Sさんはクリーム色のカーテンと言いたかったというオチでした。
せめてクロワッサンならもう少しカッコ良かったのに…(そこじゃない?)
さて、そんなI様の現場の進行状況のご報告です。
既に全商品の手配は終了していて、
取引先からの返信も全て着ています。
後は監督様と外構工事の日程を調整しながら取付工事です。
バッチリ仕上げますので楽しみにお待ちください。
2014年10月5日日曜日
5年間
5年前のあの日、母から兄が亡くなったメールが着たのはお昼前だった。
僕はちょうど休みで、天気も良かったのになぜか釣りに行かずに家にいた。
実家の和室で横たわる兄は、月並みな言葉だけど眠っているようで現実味がなく、
通夜や葬儀とせわしなく時が過ぎた。
初七日を過ぎた頃、自分の気持ちが不安定な事に気付いた。
車の運転や食事はおろか、立っていることも辛かった。
売場にいてもしゃべることもできず、
気付くと荷物搬入用のエレベーターで何時間もしゃがみこんでいた。
このままではいけない、自分を強制的にでも喋らせなければ…
僕は資料を作って工務店周りの営業に出た。
訪問先の会社の扉を開けても、ろくにしゃべれもしない営業マン。
あんな生気のない顔を見させられては、どの会社も内容を聞く気にもならなかったと思う。
でもその時、取引をしてくれると言ってくれた会社が1社だけあった。
当時からずっと担当をしてくれているXさんとは、
仕事の合間に雑談をすることがあった。
ある時、出身高校の話になり、僕はハッとした。
兄と被っている…
でも、そんなことも聞けずに数年が経った。
1年ほど前、ある現場で雑談をしている時にまた学生時代の話になった。
僕は思い切って言葉を振ってみた。
『僕の兄はその頃、××高校に勤務していたんですよ』
『へえ~。そうなんですか。あ、斉藤さん、それであの現場なのですが…』
僕はピンときた。
Xさんは兄を知っている…。
先日、Xさんとまた雑談をする機会があった。
兄について2度と聞くことはないと思っていたけれど、
なぜかあの日は勝手に口を付いた。
『Xさんは、兄を知ってますよね?』
『……はい。良く似てますね。人柄も』
Xさんがいつ僕と兄の関係に気付いたのか分からない。
でも、僕とXさんはお互いに、それを理由にせずにお付き合いをしてきた。
そして、僕が自然と兄のことを言えたのは、
もうそういうことを気にしないで良いと思えたからなのかもしれない。
10月5日、雨が降るのは珍しい。
僕はちょうど休みで、天気も良かったのになぜか釣りに行かずに家にいた。
実家の和室で横たわる兄は、月並みな言葉だけど眠っているようで現実味がなく、
通夜や葬儀とせわしなく時が過ぎた。
初七日を過ぎた頃、自分の気持ちが不安定な事に気付いた。
車の運転や食事はおろか、立っていることも辛かった。
売場にいてもしゃべることもできず、
気付くと荷物搬入用のエレベーターで何時間もしゃがみこんでいた。
このままではいけない、自分を強制的にでも喋らせなければ…
僕は資料を作って工務店周りの営業に出た。
訪問先の会社の扉を開けても、ろくにしゃべれもしない営業マン。
あんな生気のない顔を見させられては、どの会社も内容を聞く気にもならなかったと思う。
でもその時、取引をしてくれると言ってくれた会社が1社だけあった。
当時からずっと担当をしてくれているXさんとは、
仕事の合間に雑談をすることがあった。
ある時、出身高校の話になり、僕はハッとした。
兄と被っている…
でも、そんなことも聞けずに数年が経った。
1年ほど前、ある現場で雑談をしている時にまた学生時代の話になった。
僕は思い切って言葉を振ってみた。
『僕の兄はその頃、××高校に勤務していたんですよ』
『へえ~。そうなんですか。あ、斉藤さん、それであの現場なのですが…』
僕はピンときた。
Xさんは兄を知っている…。
先日、Xさんとまた雑談をする機会があった。
兄について2度と聞くことはないと思っていたけれど、
なぜかあの日は勝手に口を付いた。
『Xさんは、兄を知ってますよね?』
『……はい。良く似てますね。人柄も』
Xさんがいつ僕と兄の関係に気付いたのか分からない。
でも、僕とXさんはお互いに、それを理由にせずにお付き合いをしてきた。
そして、僕が自然と兄のことを言えたのは、
もうそういうことを気にしないで良いと思えたからなのかもしれない。
10月5日、雨が降るのは珍しい。
2014年10月4日土曜日
チラッ
スタッフがご提案したI様のクッションカバーが入荷しました。
ポール・へニングセンの赤い照明と
グレーの無地をバックにしたフロントレース、
続き間の洋室にベージュと赤のストライプのレースを配置し、
それを繋ぐ役割を持ちます。
今回のプランはこのクッションがあって初めて完成となります。
レースの入荷が早まりましたのでお届けまではあと少し。
私もスタッフもお届けするのが楽しみです。
2014年10月3日金曜日
幸せを運ぶ馬
ダーラヘストのご注文が続きました。
この生地のモチーフはスウェ―デンの伝統工芸品であるダーラナホース。
元々は子供のおもちゃとして使われていたそうです。
その昔スウェーデンでは、長い冬の夜に暖炉の前で親が子供の為に
このダーラナホースを作ったんだそうです。
K様の採寸に伺う前、
私は勝手にリビング用かと思っていましたが2Fのホールでした。
採寸に伺うと、とってもかわいいお子さんが出迎えてくれて、
2Fのホールはまさにそんなお子さんたちの楽しい遊び場のようでした。
時と国を超えて、同じ思いで『幸せを運ぶ馬』が子供たちの成長を見守ります。
そしてこちらが発注書。
お打合せ通り、柄が見やすい1ツ山縫製にてお仕立てします。
出来上がりを楽しみにお待ちください。
2014年10月1日水曜日
S様プレーンシェード
広辞苑並みに分厚いコットンの無地シリーズ。
こちらも先日の輸入商社巡りで出会いました。
『こんなのあったよ~』とスタッフに見せたところ、
『これがあればS様のプランがもっと良くなります~!』と早速再プランニング。
S様にも気に入って頂きました。
ホント、こういう絶妙なタイミングって不思議です。
そしてこちらが発注書。
北欧生地と組み合わせたプレーンシェード。
バランスよく配置すると生地のジョイント位置と
リングテープ(生地を昇降させるコードが通る位置)が合いません。
そのままではキレイに畳まれないので、
テープの位置を指示します。
こうした手法はどの生地でも出来るわけでもなく、
柔らかい生地だとテープ間の生地の垂れ具合の違いが目立ちます。
ボリューム感のある綿生地は比較的シャープな畳み方をするので、
お勧めできるのです。
あまり間隔が狭いと巻き取りドラムが入らなかったり、
広すぎると部品だけを取って一本足したりもします。
生地の特性とサイズによってご提案する内容も様々です。
㎜単位
こちらはK様の発注書。
気に入られていたのはコットンのプリント生地でした。マンションで既にレールが付いており、寸法の基準となる管下寸法は1875㎜。
現場でK様にご説明した発注寸法を出すのに困る寸法の窓です。
発注書には1865㎜と書いていますが、
備考欄にはジャストの寸法ではなく1870㎜より短めならOKですと書いておきます。
綿生地の場合は製作後に寸法変化が起きる場合もありますし、
伸縮性があるので、スケールに掛けた時の微妙な張り加減手一つで
寸法が変わってしまうからです。
結果として欲しいのはカーテンを掛けた時の違和感の無さであり、
㎜単位の厳密な寸法ではありません。
なるべく作り手に意図が伝わるように注意して書いています。
2014年9月30日火曜日
I様レースカーテン
進捗状況の紹介にブランクが出来てしまいましたが、
この間ご注文頂いております分も、つつがなく発注しております。
まずは相模原市のI様。
リビングにはポール・へニングセンの赤い照明。
そこへ赤のカーテンを持ってくるのはシンプル過ぎるので、
あえてリビングはグレーベースのフロントレースにして、
レッドとグレーを組み合わせたクッションを置く。
そして、続き間の洋室に赤がアクセントカラーの『何か』を持ってこよう。
これがスタッフと考えたプランでした。
早速そんなレースを探すも、予想通りそんな都合の良い生地は…無い(笑)。
バーチのカラコで作ろうという事になりつつ、
翌々日に行く予定の輸入商社巡りでも探すことになりました。
そして…なぜか出会ってしまう不思議!
この間ご注文頂いております分も、つつがなく発注しております。
まずは相模原市のI様。
リビングにはポール・へニングセンの赤い照明。
そこへ赤のカーテンを持ってくるのはシンプル過ぎるので、
あえてリビングはグレーベースのフロントレースにして、
レッドとグレーを組み合わせたクッションを置く。
そして、続き間の洋室に赤がアクセントカラーの『何か』を持ってこよう。
これがスタッフと考えたプランでした。
早速そんなレースを探すも、予想通りそんな都合の良い生地は…無い(笑)。
バーチのカラコで作ろうという事になりつつ、
翌々日に行く予定の輸入商社巡りでも探すことになりました。
そして…なぜか出会ってしまう不思議!
見つけた瞬間、『I様の洋室!』とスタッフと声が揃ってしまいました。
しかし、このレースを柄位置を合わせて二つの窓に使うのも違和感があるので、
(妙に揃い過ぎてしまうんですね)
窓の構成をいかしてランダムに配置します。
発注書はこんな感じ。
間取り図と希望のイメージ、そしてその理由を書き添えて。
『引越しに間に合わなくても良いです』とおっしゃって頂くほど
気に入って頂いた生地ですので、バッチリ仕上げたいと思います。
2014年9月28日日曜日
promised island
少し前の話ですが、4月に家族で天草へ旅行に行きました。
今年は長男と次男が受験なので、家族でどこかへ行けるのも最後、
と言うよりまともに家族旅行をしたことがなかったので、
最初で最後の家族旅行をしようと思ったのです。
子供たちに希望の行先を聞いたところ、色々と楽しそうな場所が出てきたのですが、
『やっぱり天草へ連れて行きたい』と僕のわがままを通してもらいました。
自分が今までで一番好きだった場所を、子供たちに見せてあげたかったのです。
子供たちは『天草ってどこ?』『何県?何かあるの?』と聞いてきました。
最初の質問には『熊本県』と即答したものの、次の質問にはちょっと悩みました。
『そう言えば何があったんだろう?』
僕が天草に行ったのは今から24年前。
バイクで日本一周をした時です。
当時住んでいた川越市のアパートを出て時計回りに西へ。
関西を抜け岡山から四国へ、そして高知からフェリーに乗り大分へ渡りました。
一人で野宿旅と言えば聞こえは良いですが、とても孤独で恰好悪い旅でした。
毎日3時を過ぎれば寝る場所を探して心落ち着かず、
誰もいない田舎道の片隅でテントを張ってはみたものの、夜の闇に恐怖して泥酔しました。
台風に直撃され心折れそうになり、
でもそんな弱音も吐けずに公衆電話から意味なさげに友人に電話したりもしました。
そんな旅の中で最も心に残っている場所が天草だったのです。
でも、振り返ってみると僕が覚えている光景は2つだけでした。
一つは小さなフェリーに乗った時に見えた美しい夕焼け、
もう一つは別のフェリー乗り場の岸壁から海を覗いた時に見た熱帯魚のような魚の群れ。
あれだけ思い出に残っていて、いつかもう一度行きたいと思い続け、
新聞の投書欄に天草の話を見つけるだけで心躍り、
仕事で一息つくと『天草』を画像検索したりYouTubeで見たりしてしまうのに、
覚えている光景はその2つだけだったのです。
考えてみればそれは不思議なことでした。
美しい景色ならほかにもたくさん見てきました。
空へ向かって離陸するように走る乗鞍スカイライン、
雄大という言葉でしか言い表せない北海道、
美しい川添いを走る吉野川添いの国道、
河童橋に寝転んで見た天の川と無数の流れ星、
チェーンを巻いてバイクで走った真冬の北海道、
灼熱のオーストラリア、
美しい景色も鮮明に残る思い出の地も、数えきれないほどありました。
でも、僕が最も思い出に残っていたのは天草だったのです。
現地に着き、車を走らせながら僕はひたすら記憶を手繰り寄せました。
どこかに見覚えのある景色があるはずだ。
どこかに思い出を鮮明に蘇らせてくれる何かがあるはずだ。
でも、いくら走っても何も思い出せません。
『確か……牛深という港からフェリーの乗ったはずだ』
家族に無理を言い、夕暮れの島を数10キロ離れた場所まで走りました。
山間の道を抜け突き当れば牛深港。
胸の高まりを抑えながら、少しづつ見えてくる港を目指しました。
そして、着いた場所は全く見覚えのない場所でした。
結局、自分がなぜあんなにも天草に惹かれたのか分からないまま、
三日間の家族旅行は終わりました。
自分の疑問は解けませんでしたが、皆とても楽しかったと言ってくれて、
我がままを押し通した負い目も少しは抜け、
また一つ天草が好きになって帰ってきました。
つい最近、開業以来初めて一人で釣りに行きました。
行先は西伊豆の戸田港。
ここは僕がバイクの免許を取ってから数えきれないほど通った思い出の場所です。
時間があるとここへ来て、缶コーヒーを飲んで帰るというのがパターンでした。
久しぶりに釣りに行こうと思った時、色々な釣り場が思い浮かんで、
『今なら〇〇港がいいかな~』などと情報も集めてみましたが、
やっぱり自分が一番落ち着く場所がいいかなと思いました。
釣果もそこそこ良く、一日竿を振った心地よい疲労感と
気持ちがリセットされたような充実感を味わいながら片づけを始めた時、
夕暮れに照らされた海と小さな港町を見ながらふと、
『天草に似てる』と思いました。
そうか、そういうことだったのか。
今年は長男と次男が受験なので、家族でどこかへ行けるのも最後、
と言うよりまともに家族旅行をしたことがなかったので、
最初で最後の家族旅行をしようと思ったのです。
子供たちに希望の行先を聞いたところ、色々と楽しそうな場所が出てきたのですが、
『やっぱり天草へ連れて行きたい』と僕のわがままを通してもらいました。
自分が今までで一番好きだった場所を、子供たちに見せてあげたかったのです。
子供たちは『天草ってどこ?』『何県?何かあるの?』と聞いてきました。
最初の質問には『熊本県』と即答したものの、次の質問にはちょっと悩みました。
『そう言えば何があったんだろう?』
僕が天草に行ったのは今から24年前。
バイクで日本一周をした時です。
当時住んでいた川越市のアパートを出て時計回りに西へ。
関西を抜け岡山から四国へ、そして高知からフェリーに乗り大分へ渡りました。
一人で野宿旅と言えば聞こえは良いですが、とても孤独で恰好悪い旅でした。
毎日3時を過ぎれば寝る場所を探して心落ち着かず、
誰もいない田舎道の片隅でテントを張ってはみたものの、夜の闇に恐怖して泥酔しました。
台風に直撃され心折れそうになり、
でもそんな弱音も吐けずに公衆電話から意味なさげに友人に電話したりもしました。
そんな旅の中で最も心に残っている場所が天草だったのです。
でも、振り返ってみると僕が覚えている光景は2つだけでした。
一つは小さなフェリーに乗った時に見えた美しい夕焼け、
もう一つは別のフェリー乗り場の岸壁から海を覗いた時に見た熱帯魚のような魚の群れ。
あれだけ思い出に残っていて、いつかもう一度行きたいと思い続け、
新聞の投書欄に天草の話を見つけるだけで心躍り、
仕事で一息つくと『天草』を画像検索したりYouTubeで見たりしてしまうのに、
覚えている光景はその2つだけだったのです。
考えてみればそれは不思議なことでした。
美しい景色ならほかにもたくさん見てきました。
空へ向かって離陸するように走る乗鞍スカイライン、
雄大という言葉でしか言い表せない北海道、
美しい川添いを走る吉野川添いの国道、
河童橋に寝転んで見た天の川と無数の流れ星、
チェーンを巻いてバイクで走った真冬の北海道、
灼熱のオーストラリア、
美しい景色も鮮明に残る思い出の地も、数えきれないほどありました。
でも、僕が最も思い出に残っていたのは天草だったのです。
現地に着き、車を走らせながら僕はひたすら記憶を手繰り寄せました。
どこかに見覚えのある景色があるはずだ。
どこかに思い出を鮮明に蘇らせてくれる何かがあるはずだ。
でも、いくら走っても何も思い出せません。
『確か……牛深という港からフェリーの乗ったはずだ』
家族に無理を言い、夕暮れの島を数10キロ離れた場所まで走りました。
山間の道を抜け突き当れば牛深港。
胸の高まりを抑えながら、少しづつ見えてくる港を目指しました。
そして、着いた場所は全く見覚えのない場所でした。
結局、自分がなぜあんなにも天草に惹かれたのか分からないまま、
三日間の家族旅行は終わりました。
自分の疑問は解けませんでしたが、皆とても楽しかったと言ってくれて、
我がままを押し通した負い目も少しは抜け、
また一つ天草が好きになって帰ってきました。
つい最近、開業以来初めて一人で釣りに行きました。
行先は西伊豆の戸田港。
ここは僕がバイクの免許を取ってから数えきれないほど通った思い出の場所です。
時間があるとここへ来て、缶コーヒーを飲んで帰るというのがパターンでした。
久しぶりに釣りに行こうと思った時、色々な釣り場が思い浮かんで、
『今なら〇〇港がいいかな~』などと情報も集めてみましたが、
やっぱり自分が一番落ち着く場所がいいかなと思いました。
釣果もそこそこ良く、一日竿を振った心地よい疲労感と
気持ちがリセットされたような充実感を味わいながら片づけを始めた時、
夕暮れに照らされた海と小さな港町を見ながらふと、
『天草に似てる』と思いました。
そうか、そういうことだったのか。
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