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2015年5月16日土曜日

春の遠足

昨日の定休日は、スタッフと三人で『春の遠足』に行って来ました。
テーマは、鎌倉~横浜・洋館めぐりの旅。

最初に訪れたのは鎌倉文学館です。
ここ、是非行ってみて下さい。お勧めです。
館内は撮影禁止なので写真はありませんが、
玄関の見事なハンマートーンの梁、
書院を含めた和をベースにした洋にしつらえられた応接間には、
窓の格子や床に似た形状のデザインがさりげなく使われていました。
クラシカルな雰囲気の寝室はまさにシンメトリーの美しさを堪能できる雰囲気で、
当時の写真を見るとその完成度に圧倒されます。
広い庭園ではバラが満開でした。
ちなみにカーテンは川島のアッセセリスト(懐かしい!)のケースメントでした。
ついついチェックしてしまいます(笑)。
スタッフとも話していたんですが、
この完成度の高いインテリアを当時は誰が指揮して作ったのでしょう。

ここから逗子の某超高級住宅地を見学に行きました。
前々から一度行ってみたかった場所だったのですが、
見たこともないような高級住宅に驚くばかりで、
素晴らしい建築物や街並みにただただため息の連続でした。
世の中にはこんな場所があるんですね。

そこから横浜へ行き、まずは洋食屋さんでランチ。
ここは洋食好きの私が、今までで一番おいしかったハヤシライスのお店です。
かなり昔からある洋食屋さんで、おしゃれで古っぽい感じも横浜らしくて良いんですよね。
同業の方は、輸入生地商社のKさんの近くですので是非。

そこから山手に行き、珍しいスペイン風の洋館に。
ここ、タマランです!

エントランスホール。
あ~、ヤバい…素敵すぎる。

リビング。
木製のカーテンボックスは下端がデザインカットされてました。
素晴らし過ぎて、木端微塵にやられた感。
サンルームへ続くドア、その色ですか。
もうダメ…参りました。

トイレ~~!!
(もはや叫ばずにはいられない)
本当は洋室が一番素晴らしかったのですが、
全部出してしまうと、これから行く方の楽しみを奪ってしまうのでこのへんで。
皆さんもお時間があったら是非行ってみて下さい。
その他にも近くの洋館を2つ周りましたが、
朝9時半に厚木を出て、5時には帰ってこれました。
お勧めですよ~。

2015年5月1日金曜日

図面

忙しさでほんの少し気持ちの余裕を無くしていた1週間ほど前。
こういうタイミングでこういうものが出てくるのかと思った。
30年前に亡くなった父が描いた実家の設計図。

立面図



当時、私の住んでいた場所はまだ周りがたんぼばかりで、
変わったデザインの家はとても目立っていたが、
当時の僕にはそれがちょっと自慢でもあった。

構造図
間柱や筋違の位置まできっちり書いてある。
妙な形をしているので、構造計算を綿密にした感じが窺える。


内部の構造を書いた図面。


当たり前だけど当時、CADはない。
複雑なデザインを図面に落とし込むのは大変だったと思う。
それにしても細かい。

父はとても神経質な人だった。
でももしかしたら、その細かさは職業病だったのかもしれない。
僕がこの仕事をして3年位経った時、
自分の大まかさからお客様にご迷惑を掛けてしまったことが重なり、
『今のままの自分ではダメだ。自分の性格を変えよう』と思った。
時々同業者から、『サイトーさんは細かいよね』と言われるが、
実は元々そうだった訳ではない。
母から父の意外な一面を聞く度に、もしかしたら父も同じだったのかもしれないと思った。

図面にまぎれて入っていた小さな紙。


見覚えがある。
中2階を支える柱を受けていた金物だ。
特注したものだったのか。

平面図

子供室(男2)という文字を見た時、
不覚にもボロボロと泣いてしまった。
思春期に反抗するだけして、17才で永遠に別れることになった。
中学の時、将来はバイクの整備士になりたくて工業高校へ行きたいと困らせた。
父は高校を卒業して専門学校へ行けと言った。
高校2年の進路希望表には、整備士の専門学校と書いた。
亡くなる前、『大学へ行け』と父に言われていなかったら、
自分の人生は変わっていただろう。
そして今、同じように家に関わる仕事をしている。

記憶がおぼろげだったので母に聞いてみた。
『家を建てたのって昭和何年?』
『あなたが小学校1年の時じゃない?』
僕が17才の時に父は56才。
6歳の時ということは45才だ。
そして今、僕は46才。
でも、勝ってるとか負けてるとか、それは特にどっちでも良かった。
(おそらく負けてるけど)
父と社会人として話す機会は無いと思っていたから、
それが何だかとても嬉しかったのだ。

2015年3月23日月曜日

信州へ


今日は朝から採寸で信州へ。
圏央道の完成で本当に近くなりました。
仕事以外の収穫は、
スキー場というものを生まれて初めて間近で見れたこと。
すごい傾斜面でびっくりしました。
怖くないんだろうか……。
逆にちょっと残念だったのは雪道が全くなかったこと。
去年の大雪を経験してこの冬初めて買ったスタッドレスタイヤ。
買った時から何となくそんな気はしてたんですけど、
やっぱりその通りになりました。
買うと降らない(笑)


2015年3月5日木曜日

寄り道

今日は相模原で納品の後、国立市の取引先へ。
ちょっと時間が空いたので、調布で友人のTが営むバイクショップに寄りました。
会うのは多分、10数年振りです。
26年前、彼と僕は同じシドニーの日本レストランで働いていました。
お互いにバイクでオーストラリアを一周することを目的に来て、
僕は失敗し、彼は成功していました。
彼は僕の事を『失敗男』と呼び(笑)、
僕は思いつく限りの悪態で言い返す仲でした。
帰国後は彼がまだ従業員だったそのバイクショップで、
夜中までお互いのバイクを整備をして、色々なところへ走りに行きました。
伊豆や奥多摩、筑波や菅生と言ったサーキット・・・。
それから数年して僕は結婚することになり、
当時の上司に『お前、貯金もないのに大丈夫か?バイクどうすんだ?』と聞かれて、
『バイクはそのまま…』と言った直後にバイク屋に連れて行かれて、
『コイツがバイク3台売りますから』と強制的に売られてバイク人生を終えました。
自分では止められなかったから、それで良かったと思っています。
Tに『オマエ、もうバイク乗らないの?』と聞かれて、
『う~ん、ほどほどに乗るって出来ないしなぁ』と答えましたが、
そう聞かれて初めて、自分にもう乗る気持ちがないことに気付きました。
今日までずっと、自分はその気持ちを抑えていると思っていたのに。
もしかしたら今の方が昔よりずっと、楽しく乗れるかもしれない。
趣味ってきっと、そういうものですよね。
買うお金ないけど(笑)

2015年1月19日月曜日

遠方工事

今日はネクスティ1.00mの天付を一本だけつけに80キロ離れた場所へ。
5年前にご購入頂いたお客様の追加なのですが、
こうしてお声かけ頂けるのは嬉しいことです。
インターチェンジを降りると、見覚えのある街の風景が懐かしく、
『確かあそこにファミリーマートが…』などど思いながら曲がると美容院でしたが、
コンビニの面影を残す外観を見て、我ながら要らない記憶力に驚いたりします。
久しぶりに会うお客様も全然変わらずお元気で、
5年前に自分が付けたカーテンがちゃんと階段にかかっているのを見ながら、
少し不思議な感覚になったりしました。

で、せっかくここまで来たので帰りに某専門店さんに寄ってみましたが…

定休日でした!

2015年1月13日火曜日

ハンニバルは半人前

年明けからバタバタとしており、大分更新が滞ってしまいました。
既にご注文を頂いているお客様につきましても、
これから順次、当ブログにて進行状況をお知らせ致します。

このブログは私が書いておりますが、
実際は二人のスタッフと私のそれぞれが『担当」しています。
『  』を付けたのは、分担しているのではなく、窓口として考えているからです。
お店を始めた時、色々な方に言われました。
『これで、自分の好きなように出来るね』
でもそれでは私の力のリミットまでしか良い提案は出来ません。
個人ではなく店を持つ意味って何だろう?と考えた時、
それは個人が分担して担当するのではなく、
3人の力を一つの現場に結集できることだと思ったのです。
ですので当店では、各現場のプランを担当者だけが考える事はありません。
必ず一緒にプランを考える時間を設け、話しながら決めています。
それは私が『担当』している現場も同じですし、
当店のスタッフの案が採用されることも多くあります。
そうして皆でプランをブラッシュアップしながらご提案するのが、
当店のスタイルだと思っています。

僕が中学生の時だったか、「特攻野郎Aチーム」というアメリカのドラマをやってました。
ある時、ファミリーの軍団と対決する話がありました。
ミスターT扮するコングはリーダーのハンニバルにちょっと弱気につぶやきます。
『でも相手はファミリーだぜ…』
するとハンニバルは答えます。
『俺たちはファミリーより強い、俺たちはチームだ』

皆さんのご期待に添えるよう、今年も最高のチームで臨みますので、
宜しくお願い致します。
(お前はハンニバルには程遠いというツッコミは受け付けません…笑)

2014年12月30日火曜日

一年の終わりに


年末の納品も全て順調に終えることができ、
来年早々の工事の手配を済ませて、店内の照明を落としました。
今年も無事に一年を終えることができ、ホッとしています。
何となく昨年末のカレンダーを覗いてみると、
つい最近のように思い浮かぶ現場の名前がいくつも出てきました。
そして、色々な方のお名前や現場を思い出すと、
この仕事が出会いによって続いていることを改めて感じます。
もちろんそれはどんな仕事でもそうなのですが、
自分が新しいことを学ぶとそれが必要な現場に出会ったり、
自分が壁にぶつかっているとそれを乗り越えないといけない現場に出会ったり、
自分が何かに気付かないままでいると、それを教えてくれるお客様に出会ったりします。
人との出会いを情緒的に捉えるのは、相手の方に失礼かもしれませんし、
僕自身はそういう感性が鈍い(笑い)方なのですが、
不思議とそういうものを感じます。
来年、、、
また多くのお客様と素晴らしい出会いがあり、
お客様にとっても当店との出会いが素晴らしいものになるように、
スタッフ一同頑張っていきます。
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
今年一年、当店をご愛好頂き、誠にありがとうございました。

                      +PLAN オーナー 斉藤 靖

2014年12月24日水曜日

Fairytale Of New York



クリスマスソングと言えばコレですね。
ポーグスのフェアリーテイル・オブ・ニューヨーク。

夢を追いかけてアイルランドからニューヨークに渡った二人。
でも夢破れて、男は今や留置場でみじめなクリスマスを迎えます。
昔、愛し合った二人も今では罵り合う毎日。
でも、そんなやりとりの最後に男が言う言葉が泣けるのです。
書くのは照れくさいの歌詞はコチラをどうぞ。

http://onemusic1.blog133.fc2.com/blog-entry-213.html

メリークリスマス!

2014年12月20日土曜日

ぽんかん

2年前に大分の別荘をやらせて頂いたY様からポンカンを頂きました。
昨日奥様からお電話があった時は
『もしかして電動シェードに不具合…』と、一瞬、背中を寒いものが走り抜けましたが、
『大分はポンカンが美味しいから、サイトーさんに送りましたよ』という
とっても嬉しい言葉でした。
最初から当店を信頼してお任せ下さって、
こうして2年たった今も覚えて下さることは本当に嬉しいです。
早速一つ食べてみました。
皮をむいた瞬間に柑橘系の香りが漂って、
さわやかな甘みがありとても美味しかったです。
Y様、ありがとうございました!






改まる

小さい頃、大みそかは家族で紅白を見ていました。
その日は夕食もちょっと豪華で、
普段は飲ませてくれないコーラやお菓子もたくさんあって、
コワい父親もビールを飲んでちょっと上機嫌だったりしたものです。
紅白が終わって、ゆく年くる年が始まってテレビが新年を告げると、
なぜかそれまでの楽しい雰囲気から、いきなり改まって
『あけましておめでとうございます』なんて言ったものです。
父親に『今年はどんな年にするんだ?』とか聞かれて、
『部活を頑張る』とか毎年同じこと言ってましたが、
あの空気は何とも照れくさいものでしたね。

でも、今になると『改まる』って、とても大事だなと思います。
今の仕事で言えば年末の挨拶もそうです。
菓子折り持って次から次へと、義務感で移動するのも良いけれど、
『改まって』お話しする機会でもあります。
普段では何か言いにくい、あえて言うほどでもない、
でも、そのままにしてはいけない大事なこと。
それは『改まる』機会でないと、なかなか聞けないことだからです。
『当店は今年どうでしたでしょうか?』
『何か改善した方が良いことはありますか?』
『その時は言うほどでもないと思って、言われてないことがありますか?』
『不満とまではいかなくても気になること、ありますか?』

菓子折りは、そんな取引先の声を聞くためのチケットでもあります。

2014年12月8日月曜日

N様のプレゼント

ご新築時にお世話になったN様から
とってもかわいいトイレットペーパー入れを頂きました。
木工がご趣味のN様の完全ハンドメイドです。
私は家具もかじったので分かるのですが、
立体的なものを作るのってとても大変なのです。
直角にカットしたものを『逃げ』なしで四方を合わせ、
垂直をキッチリ取るだけでも大変です。
それにしても趣味があるって良いですよね。
そろそろイナダもいなくなってしまうかなぁ…。


2014年12月4日木曜日

ツンデレな彼女

2連梯子を取りに現場を移動する途中で実家に寄りました。
(長さの関係で店に置けないのです)
出迎えてくれるのは完全に僕をナメているこの犬。
母親から臨時の『おやつ』をもらって、目の前へ。
『おすわり!』→めんどくさそうに座る
『お手!』→『早くくれよ』と言わんばかりに嫌々と
『おかわり!』→『ふざけんなよ』という声が聞こえてきそうな感じで
そして目の前におやつを置いて、
『待て!』→パクッ!
あ、食った~!!!!

2014年11月10日月曜日

30th&3rd

最近偶然見つけてずっと聞きっぱなしなのがコチラ。



もし、『好きなミュージシャンは?』と聞かれて真っ先に答えるバンド、
ポーグスの2013年のパリでの30周年記念ライブです。
最初から最後まで全てが名曲で綴られた至極のライブ映像です。
最初見た時はシェーン・マガウワンがふっくらしていて別人かと思いましたが、
登場したときから煙草を手にしていて、ステージに本人いわく水(絶対にお酒)が
置いてあるのを見て間違いなく『酔いどれ詩人』だと分かりました。
スタジオ録音のアルバムですら酔って音程外しまくりで、
それが何故か何とも言えない魅力を醸し出す天才ミュージシャン。
初めて聞いたのが大学3年の頃ですから、
もうこのシェーン節を25年間も聞いていることになります。

ライブに映るメンバーは皆、年老いていて、
でも『なんでこんなおっさん達がこんなにカッコ良いんだ!』と唸るほどに素敵です。
ホイッスル担当のスパイダー・ステイシーは、
まるでどこかのパブで飲んだくれてるおっさんのような井手達で、
疲れたスーツと気にしていなさそうなヘアースタイルが絵になります。
強面のテリーウッズは、映画に出てくる頑固親父。
dirty old townの時に、観客の素晴らしさに思わず見せる笑顔が最高です。
そしてフィリップ・シェブロン。
おそらく亡くなったのはこのライブの翌年です。
皆よりさらに年老いて見えるのは、病気のせいなのかもしれません。
まるで音を嗜むように口ずさむ光景や、
テリーウッズのボーカルに合わせてヒラリと舞うカッコ良さ!
名曲、Thousands are sailingの時のギタープレイは何度もリピートして見てしまいます。

30年。
CDを何千万枚も売る訳でもありませんが、
でも歌う使命とファンに愛される気持ちに支えられてきたバンドです。
当店はつい先日で3周年。
オープン前に店名を考えた時、このバンドのような店にしたくて
バンド名や楽曲名から何か言葉をもらえないかと随分考えました。
結局、店の在り方を店名にしようと+PLANとしましたが、
今でも当時の想いは変わりません。
3年間、誇らしげな売上はありませんでしたが(苦笑)、
カーテンを販売する使命とお客様、お取引先様に支えられてなんとかやってこれました。
これからも同じ気持ちで、スタッフと共にやっていきたいと思います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

2014年10月25日土曜日

資格

今年から創出された『窓装飾プランナー』の試験があり、昨日が発表でした。
無事合格できてホッとしています。
2540名が受験して合格者は699名。
受験者の多くが既にこの業界で働いている方ですので、
厳しい試験だったと思います。

この業界には資格を様々な資格を持っている方がいます。
インテリアコーディネーター、カラーコーディネーター、インテリアプランナー等々…
このブログを一緒に書いてくれているゴトー君も
一級内装仕上げ技能士(カーテン)の有資格者です。
そして不思議な事に、素晴らしい仕事をする方ほど、有資格者であることを感じさせません。
(職業として資格名を名乗る方は別として)
素晴らしいコーディネートをする方の仕事には、
その方が持っている資格よりご本人を感じますし、
ゴトー君やアートケイさんが普段気を使って作ってくれているカーテンもそうです。
資格と言うのは、それに頼っている方ではなく、
それを凌駕した方々によって、その価値が上がっていくのだと思います。

窓装飾プランナーの資格は始まったばかりです。
おそらく今、僕に合格の実感が湧かないのは、
まだその資格に実体がないからだと思います。
そして、その実体を作り上げていくのも僕たちなのだと思います。
資格に頼ってそれを『販促物』に成り下げず、
良い仕事の結果を積み重ねて窓装飾プランナーの価値を上げていけるように、
頑張っていきたいと思います。


2014年10月22日水曜日

旧友

窓周りの採寸で久々に『旧友』に会いました。
もう10年近く前になるでしょうか。
ロールスロイスの椅子で作ったソファです。
この他に2人掛けも1つ。
それからインパネ(メーター周り)で作ったワインボトル置き、
ドア内側の内装(象嵌)を脚や天板に埋め込んだセンターテーブルも。
全てイギリスのアンティーク家具をレストアしている工房で作ってもらいました。
しかし、まあ、何というか…一体どんな仕事を受けてるんだ(苦笑)

2014年10月5日日曜日

5年間

5年前のあの日、母から兄が亡くなったメールが着たのはお昼前だった。
僕はちょうど休みで、天気も良かったのになぜか釣りに行かずに家にいた。
実家の和室で横たわる兄は、月並みな言葉だけど眠っているようで現実味がなく、
通夜や葬儀とせわしなく時が過ぎた。
初七日を過ぎた頃、自分の気持ちが不安定な事に気付いた。
車の運転や食事はおろか、立っていることも辛かった。
売場にいてもしゃべることもできず、
気付くと荷物搬入用のエレベーターで何時間もしゃがみこんでいた。
このままではいけない、自分を強制的にでも喋らせなければ…
僕は資料を作って工務店周りの営業に出た。
訪問先の会社の扉を開けても、ろくにしゃべれもしない営業マン。
あんな生気のない顔を見させられては、どの会社も内容を聞く気にもならなかったと思う。
でもその時、取引をしてくれると言ってくれた会社が1社だけあった。

当時からずっと担当をしてくれているXさんとは、
仕事の合間に雑談をすることがあった。
ある時、出身高校の話になり、僕はハッとした。
兄と被っている…
でも、そんなことも聞けずに数年が経った。
1年ほど前、ある現場で雑談をしている時にまた学生時代の話になった。
僕は思い切って言葉を振ってみた。
『僕の兄はその頃、××高校に勤務していたんですよ』
『へえ~。そうなんですか。あ、斉藤さん、それであの現場なのですが…』
僕はピンときた。
Xさんは兄を知っている…。

先日、Xさんとまた雑談をする機会があった。
兄について2度と聞くことはないと思っていたけれど、
なぜかあの日は勝手に口を付いた。
『Xさんは、兄を知ってますよね?』
『……はい。良く似てますね。人柄も』
Xさんがいつ僕と兄の関係に気付いたのか分からない。
でも、僕とXさんはお互いに、それを理由にせずにお付き合いをしてきた。
そして、僕が自然と兄のことを言えたのは、
もうそういうことを気にしないで良いと思えたからなのかもしれない。
10月5日、雨が降るのは珍しい。

2014年9月28日日曜日

promised island

少し前の話ですが、4月に家族で天草へ旅行に行きました。
今年は長男と次男が受験なので、家族でどこかへ行けるのも最後、
と言うよりまともに家族旅行をしたことがなかったので、
最初で最後の家族旅行をしようと思ったのです。
子供たちに希望の行先を聞いたところ、色々と楽しそうな場所が出てきたのですが、
『やっぱり天草へ連れて行きたい』と僕のわがままを通してもらいました。
自分が今までで一番好きだった場所を、子供たちに見せてあげたかったのです。
子供たちは『天草ってどこ?』『何県?何かあるの?』と聞いてきました。
最初の質問には『熊本県』と即答したものの、次の質問にはちょっと悩みました。
『そう言えば何があったんだろう?』

僕が天草に行ったのは今から24年前。
バイクで日本一周をした時です。
当時住んでいた川越市のアパートを出て時計回りに西へ。
関西を抜け岡山から四国へ、そして高知からフェリーに乗り大分へ渡りました。
一人で野宿旅と言えば聞こえは良いですが、とても孤独で恰好悪い旅でした。
毎日3時を過ぎれば寝る場所を探して心落ち着かず、
誰もいない田舎道の片隅でテントを張ってはみたものの、夜の闇に恐怖して泥酔しました。
台風に直撃され心折れそうになり、
でもそんな弱音も吐けずに公衆電話から意味なさげに友人に電話したりもしました。
そんな旅の中で最も心に残っている場所が天草だったのです。
でも、振り返ってみると僕が覚えている光景は2つだけでした。
一つは小さなフェリーに乗った時に見えた美しい夕焼け、
もう一つは別のフェリー乗り場の岸壁から海を覗いた時に見た熱帯魚のような魚の群れ。
あれだけ思い出に残っていて、いつかもう一度行きたいと思い続け、
新聞の投書欄に天草の話を見つけるだけで心躍り、
仕事で一息つくと『天草』を画像検索したりYouTubeで見たりしてしまうのに、
覚えている光景はその2つだけだったのです。

考えてみればそれは不思議なことでした。
美しい景色ならほかにもたくさん見てきました。
空へ向かって離陸するように走る乗鞍スカイライン、
雄大という言葉でしか言い表せない北海道、
美しい川添いを走る吉野川添いの国道、
河童橋に寝転んで見た天の川と無数の流れ星、
チェーンを巻いてバイクで走った真冬の北海道、
灼熱のオーストラリア、
美しい景色も鮮明に残る思い出の地も、数えきれないほどありました。
でも、僕が最も思い出に残っていたのは天草だったのです。

現地に着き、車を走らせながら僕はひたすら記憶を手繰り寄せました。
どこかに見覚えのある景色があるはずだ。
どこかに思い出を鮮明に蘇らせてくれる何かがあるはずだ。
でも、いくら走っても何も思い出せません。
『確か……牛深という港からフェリーの乗ったはずだ』
家族に無理を言い、夕暮れの島を数10キロ離れた場所まで走りました。
山間の道を抜け突き当れば牛深港。
胸の高まりを抑えながら、少しづつ見えてくる港を目指しました。
そして、着いた場所は全く見覚えのない場所でした。

結局、自分がなぜあんなにも天草に惹かれたのか分からないまま、
三日間の家族旅行は終わりました。
自分の疑問は解けませんでしたが、皆とても楽しかったと言ってくれて、
我がままを押し通した負い目も少しは抜け、
また一つ天草が好きになって帰ってきました。

つい最近、開業以来初めて一人で釣りに行きました。
行先は西伊豆の戸田港。
ここは僕がバイクの免許を取ってから数えきれないほど通った思い出の場所です。
時間があるとここへ来て、缶コーヒーを飲んで帰るというのがパターンでした。
久しぶりに釣りに行こうと思った時、色々な釣り場が思い浮かんで、
『今なら〇〇港がいいかな~』などと情報も集めてみましたが、
やっぱり自分が一番落ち着く場所がいいかなと思いました。
釣果もそこそこ良く、一日竿を振った心地よい疲労感と
気持ちがリセットされたような充実感を味わいながら片づけを始めた時、
夕暮れに照らされた海と小さな港町を見ながらふと、
『天草に似てる』と思いました。
そうか、そういうことだったのか。

2014年8月16日土曜日

お盆やすみ

13日からの三日間、お盆休みを頂いて
福島県の南相馬市にボランティアに行って来ました。
被災地へボランティアに行くのでこれで3回目です。
初回と二回目は南三陸で瓦礫処理と漁業支援でした。
今回も南三陸に行こうと思ったのですが、宿が取れずに断念。
南相馬も全て満室だったのですが、
ダメもとで電話をしたホテルがキャンセル空きが出ていて即決しました。
南相馬には今でもボランティアセンターが開設されていて、
お盆中も多くの方が来られていました。
普段はバスをチャーターして訪れるグループや、
旅行会社の企画するツアーでもっと多くの方が来られているそうです。

私が担当したのは海岸近くの田んぼ添いの除草でした。
このエリアは約150戸のほぼ全てが津波に流され、
今は荒れ地のようになったままになっています。
他のエリアに比べて復興も遅れていて、
これから新しい何かが生まれるという雰囲気を感じることはできません。
田んぼと道路の間の法面、道路と歩道を区切るブロックの間は、
人が居なくなったことで雑草が伸び放題となっていて、
以前住んでいた方やここで農業をしていた方にはそれがとても悲しく、
訪れる人の印象も悪くしてしまうとのことでした。

訪れたのがお盆と言う事もあり、
市内各所に点在する墓地には花が手向けれていました。
この地域にはお墓にも提灯を飾る風習があるのか、
それぞれのお墓には立派な提灯が飾られていて、
見ているだけで胸が締め付けられる思いでした。

僕の担当したエリア。
ほんの少しですが、これからも関わっていきたいと思います。


*ボランティアの事を書くのは正直、躊躇があります。
一度訪れただけで何かを書くのは憚られますし、
誤った印象を与える可能性もあるからです。
訪れた者が報告をすることで、
少しでも何かを伝えられるならと思い書いています。

2014年8月3日日曜日

昔話

今日、最後の現場はカーテンのお届けでした。
お客様はWEB業界の方で、ついつい話し込んでしまいました。
この仕事をする前、今では一着も持っていないスーツを毎日着て、
広告営業の仕事をしていました。
私にとっては社会人の基本を学んだ学校のようなところでした。
名刺のもらい方やスケジュールの組み方、営業の仕方と言ったこともそうですが、
その時に得た知識や経験が今の自分に大きな影響を与えています。

広告というのは面白いもので、お金を掛ければ効果がある訳ではありません。
100万円の予算を一つの媒体に使うより、2つの媒体に30万づつ掛けた方が良い場合もあります。
1つの媒体に時期をずらして50万と30万の2回打つ方法もあります。
販促費の年間予算を組んでいる会社なら、
そうした工夫で浮いた予算を保険として取っておくことも可能です。
『ただ高コストをかけるのではなく、工夫をしてコストを下げてそれ以上の効果を出す』という
今の自分のプランニング方法は、この時の経験が基礎になっています。

もう一つは色です。
広告業界では色をCMYKの組み合わせで表します。
例えば紺ならC100M60とか。グリーンならC100Y80とか。
これらは紺がシアン100%とマゼンダ60%を混ぜたものという意味で、
色の構成が分かります。
ロールスクリーンやブラインドの色サンプルを見た時、
今でもこのCMYKの%をイメージします。
色のマッチングを決める参考になるからです。

私はカーテンの仕事に就くまでに2つの職種を経験していますが、
不思議なものでそれらの経験が今とっても役に立っています。
まるで今の仕事の為に経験してきたように。
こういうのって不思議ですね。

2014年7月26日土曜日

新色

バンブーブラインドにホワイト系の2色が追加になりました。
私としては最もして欲しくなかった改編で、残念な気持ちでいっぱいです。
カタログを見ながらずっと『これはないよな…』とため息をついてたら、
スタッフに『いつまで言ってるんですか』と怒られてしまいました(苦笑)。

バンブーブラインドはとても素晴らしい商品です。
ナチュラル寄りではない純和風や、
モダン系ではない温かみのある和テイスト、
アジアン、少しレトロなイメージのお部屋にも合います。
これらは木製ブラインドではカバーできないテイストです。
当店では色々なインテリア写真をネットからピックアップして、
これは木製ブラインド、これはバンブーブラインドと、
その使い分け方を皆で統一化する場を設け、お客様に販売してきました。
そして、『決して木製ブラインドより安いという理由で勧めない』事をルールにしてきました。
それはこの商品の良さを活かし、お客様にも知って頂きたかったからです。

今回の改編は非継続となった木製ブラインドのエコタイプの受け皿的役割を
バンブーブラインドに担わせることが目的だと思います。
白系を2色増やしたのはそのためでしょう。
そしてそれは、当店が取り組んできたことと正反対の内容です。
当初、白系の色がなかったことも同じ理由だと思います。

白という色は普通に塗ると木の地色が見えてしまうので、
キッチリ塗らないといけません。
新色のバンブーブラインドには美しい竹の木目は見えません。
色のばらつき感が醸し出す独特の雰囲気もなくなるでしょう。
そして、『バンブーブラインドは木製ブラインドでは出せない良さがあるんです』ではなく、
『バンブーブラインドは木製ブラインドより安いんです!』という
セールストークをメーカーが認めたことになってしまいました。
本当に残念でなりません。