忙しさでほんの少し気持ちの余裕を無くしていた1週間ほど前。
こういうタイミングでこういうものが出てくるのかと思った。
30年前に亡くなった父が描いた実家の設計図。
立面図
当時、私の住んでいた場所はまだ周りがたんぼばかりで、
変わったデザインの家はとても目立っていたが、
当時の僕にはそれがちょっと自慢でもあった。
構造図
間柱や筋違の位置まできっちり書いてある。
妙な形をしているので、構造計算を綿密にした感じが窺える。
内部の構造を書いた図面。
当たり前だけど当時、CADはない。
複雑なデザインを図面に落とし込むのは大変だったと思う。
それにしても細かい。
父はとても神経質な人だった。
でももしかしたら、その細かさは職業病だったのかもしれない。
僕がこの仕事をして3年位経った時、
自分の大まかさからお客様にご迷惑を掛けてしまったことが重なり、
『今のままの自分ではダメだ。自分の性格を変えよう』と思った。
時々同業者から、『サイトーさんは細かいよね』と言われるが、
実は元々そうだった訳ではない。
母から父の意外な一面を聞く度に、もしかしたら父も同じだったのかもしれないと思った。
図面にまぎれて入っていた小さな紙。
見覚えがある。
中2階を支える柱を受けていた金物だ。
特注したものだったのか。
平面図
子供室(男2)という文字を見た時、
不覚にもボロボロと泣いてしまった。
思春期に反抗するだけして、17才で永遠に別れることになった。
中学の時、将来はバイクの整備士になりたくて工業高校へ行きたいと困らせた。
父は高校を卒業して専門学校へ行けと言った。
高校2年の進路希望表には、整備士の専門学校と書いた。
亡くなる前、『大学へ行け』と父に言われていなかったら、
自分の人生は変わっていただろう。
そして今、同じように家に関わる仕事をしている。
記憶がおぼろげだったので母に聞いてみた。
『家を建てたのって昭和何年?』
『あなたが小学校1年の時じゃない?』
僕が17才の時に父は56才。
6歳の時ということは45才だ。
そして今、僕は46才。
でも、勝ってるとか負けてるとか、それは特にどっちでも良かった。
(おそらく負けてるけど)
父と社会人として話す機会は無いと思っていたから、
それが何だかとても嬉しかったのだ。