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2014年12月8日月曜日

N様のプレゼント

ご新築時にお世話になったN様から
とってもかわいいトイレットペーパー入れを頂きました。
木工がご趣味のN様の完全ハンドメイドです。
私は家具もかじったので分かるのですが、
立体的なものを作るのってとても大変なのです。
直角にカットしたものを『逃げ』なしで四方を合わせ、
垂直をキッチリ取るだけでも大変です。
それにしても趣味があるって良いですよね。
そろそろイナダもいなくなってしまうかなぁ…。


2014年12月4日木曜日

ツンデレな彼女

2連梯子を取りに現場を移動する途中で実家に寄りました。
(長さの関係で店に置けないのです)
出迎えてくれるのは完全に僕をナメているこの犬。
母親から臨時の『おやつ』をもらって、目の前へ。
『おすわり!』→めんどくさそうに座る
『お手!』→『早くくれよ』と言わんばかりに嫌々と
『おかわり!』→『ふざけんなよ』という声が聞こえてきそうな感じで
そして目の前におやつを置いて、
『待て!』→パクッ!
あ、食った~!!!!

2014年11月10日月曜日

30th&3rd

最近偶然見つけてずっと聞きっぱなしなのがコチラ。



もし、『好きなミュージシャンは?』と聞かれて真っ先に答えるバンド、
ポーグスの2013年のパリでの30周年記念ライブです。
最初から最後まで全てが名曲で綴られた至極のライブ映像です。
最初見た時はシェーン・マガウワンがふっくらしていて別人かと思いましたが、
登場したときから煙草を手にしていて、ステージに本人いわく水(絶対にお酒)が
置いてあるのを見て間違いなく『酔いどれ詩人』だと分かりました。
スタジオ録音のアルバムですら酔って音程外しまくりで、
それが何故か何とも言えない魅力を醸し出す天才ミュージシャン。
初めて聞いたのが大学3年の頃ですから、
もうこのシェーン節を25年間も聞いていることになります。

ライブに映るメンバーは皆、年老いていて、
でも『なんでこんなおっさん達がこんなにカッコ良いんだ!』と唸るほどに素敵です。
ホイッスル担当のスパイダー・ステイシーは、
まるでどこかのパブで飲んだくれてるおっさんのような井手達で、
疲れたスーツと気にしていなさそうなヘアースタイルが絵になります。
強面のテリーウッズは、映画に出てくる頑固親父。
dirty old townの時に、観客の素晴らしさに思わず見せる笑顔が最高です。
そしてフィリップ・シェブロン。
おそらく亡くなったのはこのライブの翌年です。
皆よりさらに年老いて見えるのは、病気のせいなのかもしれません。
まるで音を嗜むように口ずさむ光景や、
テリーウッズのボーカルに合わせてヒラリと舞うカッコ良さ!
名曲、Thousands are sailingの時のギタープレイは何度もリピートして見てしまいます。

30年。
CDを何千万枚も売る訳でもありませんが、
でも歌う使命とファンに愛される気持ちに支えられてきたバンドです。
当店はつい先日で3周年。
オープン前に店名を考えた時、このバンドのような店にしたくて
バンド名や楽曲名から何か言葉をもらえないかと随分考えました。
結局、店の在り方を店名にしようと+PLANとしましたが、
今でも当時の想いは変わりません。
3年間、誇らしげな売上はありませんでしたが(苦笑)、
カーテンを販売する使命とお客様、お取引先様に支えられてなんとかやってこれました。
これからも同じ気持ちで、スタッフと共にやっていきたいと思います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

2014年10月25日土曜日

資格

今年から創出された『窓装飾プランナー』の試験があり、昨日が発表でした。
無事合格できてホッとしています。
2540名が受験して合格者は699名。
受験者の多くが既にこの業界で働いている方ですので、
厳しい試験だったと思います。

この業界には資格を様々な資格を持っている方がいます。
インテリアコーディネーター、カラーコーディネーター、インテリアプランナー等々…
このブログを一緒に書いてくれているゴトー君も
一級内装仕上げ技能士(カーテン)の有資格者です。
そして不思議な事に、素晴らしい仕事をする方ほど、有資格者であることを感じさせません。
(職業として資格名を名乗る方は別として)
素晴らしいコーディネートをする方の仕事には、
その方が持っている資格よりご本人を感じますし、
ゴトー君やアートケイさんが普段気を使って作ってくれているカーテンもそうです。
資格と言うのは、それに頼っている方ではなく、
それを凌駕した方々によって、その価値が上がっていくのだと思います。

窓装飾プランナーの資格は始まったばかりです。
おそらく今、僕に合格の実感が湧かないのは、
まだその資格に実体がないからだと思います。
そして、その実体を作り上げていくのも僕たちなのだと思います。
資格に頼ってそれを『販促物』に成り下げず、
良い仕事の結果を積み重ねて窓装飾プランナーの価値を上げていけるように、
頑張っていきたいと思います。


2014年10月22日水曜日

旧友

窓周りの採寸で久々に『旧友』に会いました。
もう10年近く前になるでしょうか。
ロールスロイスの椅子で作ったソファです。
この他に2人掛けも1つ。
それからインパネ(メーター周り)で作ったワインボトル置き、
ドア内側の内装(象嵌)を脚や天板に埋め込んだセンターテーブルも。
全てイギリスのアンティーク家具をレストアしている工房で作ってもらいました。
しかし、まあ、何というか…一体どんな仕事を受けてるんだ(苦笑)

2014年10月5日日曜日

5年間

5年前のあの日、母から兄が亡くなったメールが着たのはお昼前だった。
僕はちょうど休みで、天気も良かったのになぜか釣りに行かずに家にいた。
実家の和室で横たわる兄は、月並みな言葉だけど眠っているようで現実味がなく、
通夜や葬儀とせわしなく時が過ぎた。
初七日を過ぎた頃、自分の気持ちが不安定な事に気付いた。
車の運転や食事はおろか、立っていることも辛かった。
売場にいてもしゃべることもできず、
気付くと荷物搬入用のエレベーターで何時間もしゃがみこんでいた。
このままではいけない、自分を強制的にでも喋らせなければ…
僕は資料を作って工務店周りの営業に出た。
訪問先の会社の扉を開けても、ろくにしゃべれもしない営業マン。
あんな生気のない顔を見させられては、どの会社も内容を聞く気にもならなかったと思う。
でもその時、取引をしてくれると言ってくれた会社が1社だけあった。

当時からずっと担当をしてくれているXさんとは、
仕事の合間に雑談をすることがあった。
ある時、出身高校の話になり、僕はハッとした。
兄と被っている…
でも、そんなことも聞けずに数年が経った。
1年ほど前、ある現場で雑談をしている時にまた学生時代の話になった。
僕は思い切って言葉を振ってみた。
『僕の兄はその頃、××高校に勤務していたんですよ』
『へえ~。そうなんですか。あ、斉藤さん、それであの現場なのですが…』
僕はピンときた。
Xさんは兄を知っている…。

先日、Xさんとまた雑談をする機会があった。
兄について2度と聞くことはないと思っていたけれど、
なぜかあの日は勝手に口を付いた。
『Xさんは、兄を知ってますよね?』
『……はい。良く似てますね。人柄も』
Xさんがいつ僕と兄の関係に気付いたのか分からない。
でも、僕とXさんはお互いに、それを理由にせずにお付き合いをしてきた。
そして、僕が自然と兄のことを言えたのは、
もうそういうことを気にしないで良いと思えたからなのかもしれない。
10月5日、雨が降るのは珍しい。

2014年9月28日日曜日

promised island

少し前の話ですが、4月に家族で天草へ旅行に行きました。
今年は長男と次男が受験なので、家族でどこかへ行けるのも最後、
と言うよりまともに家族旅行をしたことがなかったので、
最初で最後の家族旅行をしようと思ったのです。
子供たちに希望の行先を聞いたところ、色々と楽しそうな場所が出てきたのですが、
『やっぱり天草へ連れて行きたい』と僕のわがままを通してもらいました。
自分が今までで一番好きだった場所を、子供たちに見せてあげたかったのです。
子供たちは『天草ってどこ?』『何県?何かあるの?』と聞いてきました。
最初の質問には『熊本県』と即答したものの、次の質問にはちょっと悩みました。
『そう言えば何があったんだろう?』

僕が天草に行ったのは今から24年前。
バイクで日本一周をした時です。
当時住んでいた川越市のアパートを出て時計回りに西へ。
関西を抜け岡山から四国へ、そして高知からフェリーに乗り大分へ渡りました。
一人で野宿旅と言えば聞こえは良いですが、とても孤独で恰好悪い旅でした。
毎日3時を過ぎれば寝る場所を探して心落ち着かず、
誰もいない田舎道の片隅でテントを張ってはみたものの、夜の闇に恐怖して泥酔しました。
台風に直撃され心折れそうになり、
でもそんな弱音も吐けずに公衆電話から意味なさげに友人に電話したりもしました。
そんな旅の中で最も心に残っている場所が天草だったのです。
でも、振り返ってみると僕が覚えている光景は2つだけでした。
一つは小さなフェリーに乗った時に見えた美しい夕焼け、
もう一つは別のフェリー乗り場の岸壁から海を覗いた時に見た熱帯魚のような魚の群れ。
あれだけ思い出に残っていて、いつかもう一度行きたいと思い続け、
新聞の投書欄に天草の話を見つけるだけで心躍り、
仕事で一息つくと『天草』を画像検索したりYouTubeで見たりしてしまうのに、
覚えている光景はその2つだけだったのです。

考えてみればそれは不思議なことでした。
美しい景色ならほかにもたくさん見てきました。
空へ向かって離陸するように走る乗鞍スカイライン、
雄大という言葉でしか言い表せない北海道、
美しい川添いを走る吉野川添いの国道、
河童橋に寝転んで見た天の川と無数の流れ星、
チェーンを巻いてバイクで走った真冬の北海道、
灼熱のオーストラリア、
美しい景色も鮮明に残る思い出の地も、数えきれないほどありました。
でも、僕が最も思い出に残っていたのは天草だったのです。

現地に着き、車を走らせながら僕はひたすら記憶を手繰り寄せました。
どこかに見覚えのある景色があるはずだ。
どこかに思い出を鮮明に蘇らせてくれる何かがあるはずだ。
でも、いくら走っても何も思い出せません。
『確か……牛深という港からフェリーの乗ったはずだ』
家族に無理を言い、夕暮れの島を数10キロ離れた場所まで走りました。
山間の道を抜け突き当れば牛深港。
胸の高まりを抑えながら、少しづつ見えてくる港を目指しました。
そして、着いた場所は全く見覚えのない場所でした。

結局、自分がなぜあんなにも天草に惹かれたのか分からないまま、
三日間の家族旅行は終わりました。
自分の疑問は解けませんでしたが、皆とても楽しかったと言ってくれて、
我がままを押し通した負い目も少しは抜け、
また一つ天草が好きになって帰ってきました。

つい最近、開業以来初めて一人で釣りに行きました。
行先は西伊豆の戸田港。
ここは僕がバイクの免許を取ってから数えきれないほど通った思い出の場所です。
時間があるとここへ来て、缶コーヒーを飲んで帰るというのがパターンでした。
久しぶりに釣りに行こうと思った時、色々な釣り場が思い浮かんで、
『今なら〇〇港がいいかな~』などと情報も集めてみましたが、
やっぱり自分が一番落ち着く場所がいいかなと思いました。
釣果もそこそこ良く、一日竿を振った心地よい疲労感と
気持ちがリセットされたような充実感を味わいながら片づけを始めた時、
夕暮れに照らされた海と小さな港町を見ながらふと、
『天草に似てる』と思いました。
そうか、そういうことだったのか。

2014年8月16日土曜日

お盆やすみ

13日からの三日間、お盆休みを頂いて
福島県の南相馬市にボランティアに行って来ました。
被災地へボランティアに行くのでこれで3回目です。
初回と二回目は南三陸で瓦礫処理と漁業支援でした。
今回も南三陸に行こうと思ったのですが、宿が取れずに断念。
南相馬も全て満室だったのですが、
ダメもとで電話をしたホテルがキャンセル空きが出ていて即決しました。
南相馬には今でもボランティアセンターが開設されていて、
お盆中も多くの方が来られていました。
普段はバスをチャーターして訪れるグループや、
旅行会社の企画するツアーでもっと多くの方が来られているそうです。

私が担当したのは海岸近くの田んぼ添いの除草でした。
このエリアは約150戸のほぼ全てが津波に流され、
今は荒れ地のようになったままになっています。
他のエリアに比べて復興も遅れていて、
これから新しい何かが生まれるという雰囲気を感じることはできません。
田んぼと道路の間の法面、道路と歩道を区切るブロックの間は、
人が居なくなったことで雑草が伸び放題となっていて、
以前住んでいた方やここで農業をしていた方にはそれがとても悲しく、
訪れる人の印象も悪くしてしまうとのことでした。

訪れたのがお盆と言う事もあり、
市内各所に点在する墓地には花が手向けれていました。
この地域にはお墓にも提灯を飾る風習があるのか、
それぞれのお墓には立派な提灯が飾られていて、
見ているだけで胸が締め付けられる思いでした。

僕の担当したエリア。
ほんの少しですが、これからも関わっていきたいと思います。


*ボランティアの事を書くのは正直、躊躇があります。
一度訪れただけで何かを書くのは憚られますし、
誤った印象を与える可能性もあるからです。
訪れた者が報告をすることで、
少しでも何かを伝えられるならと思い書いています。

2014年8月3日日曜日

昔話

今日、最後の現場はカーテンのお届けでした。
お客様はWEB業界の方で、ついつい話し込んでしまいました。
この仕事をする前、今では一着も持っていないスーツを毎日着て、
広告営業の仕事をしていました。
私にとっては社会人の基本を学んだ学校のようなところでした。
名刺のもらい方やスケジュールの組み方、営業の仕方と言ったこともそうですが、
その時に得た知識や経験が今の自分に大きな影響を与えています。

広告というのは面白いもので、お金を掛ければ効果がある訳ではありません。
100万円の予算を一つの媒体に使うより、2つの媒体に30万づつ掛けた方が良い場合もあります。
1つの媒体に時期をずらして50万と30万の2回打つ方法もあります。
販促費の年間予算を組んでいる会社なら、
そうした工夫で浮いた予算を保険として取っておくことも可能です。
『ただ高コストをかけるのではなく、工夫をしてコストを下げてそれ以上の効果を出す』という
今の自分のプランニング方法は、この時の経験が基礎になっています。

もう一つは色です。
広告業界では色をCMYKの組み合わせで表します。
例えば紺ならC100M60とか。グリーンならC100Y80とか。
これらは紺がシアン100%とマゼンダ60%を混ぜたものという意味で、
色の構成が分かります。
ロールスクリーンやブラインドの色サンプルを見た時、
今でもこのCMYKの%をイメージします。
色のマッチングを決める参考になるからです。

私はカーテンの仕事に就くまでに2つの職種を経験していますが、
不思議なものでそれらの経験が今とっても役に立っています。
まるで今の仕事の為に経験してきたように。
こういうのって不思議ですね。

2014年7月26日土曜日

新色

バンブーブラインドにホワイト系の2色が追加になりました。
私としては最もして欲しくなかった改編で、残念な気持ちでいっぱいです。
カタログを見ながらずっと『これはないよな…』とため息をついてたら、
スタッフに『いつまで言ってるんですか』と怒られてしまいました(苦笑)。

バンブーブラインドはとても素晴らしい商品です。
ナチュラル寄りではない純和風や、
モダン系ではない温かみのある和テイスト、
アジアン、少しレトロなイメージのお部屋にも合います。
これらは木製ブラインドではカバーできないテイストです。
当店では色々なインテリア写真をネットからピックアップして、
これは木製ブラインド、これはバンブーブラインドと、
その使い分け方を皆で統一化する場を設け、お客様に販売してきました。
そして、『決して木製ブラインドより安いという理由で勧めない』事をルールにしてきました。
それはこの商品の良さを活かし、お客様にも知って頂きたかったからです。

今回の改編は非継続となった木製ブラインドのエコタイプの受け皿的役割を
バンブーブラインドに担わせることが目的だと思います。
白系を2色増やしたのはそのためでしょう。
そしてそれは、当店が取り組んできたことと正反対の内容です。
当初、白系の色がなかったことも同じ理由だと思います。

白という色は普通に塗ると木の地色が見えてしまうので、
キッチリ塗らないといけません。
新色のバンブーブラインドには美しい竹の木目は見えません。
色のばらつき感が醸し出す独特の雰囲気もなくなるでしょう。
そして、『バンブーブラインドは木製ブラインドでは出せない良さがあるんです』ではなく、
『バンブーブラインドは木製ブラインドより安いんです!』という
セールストークをメーカーが認めたことになってしまいました。
本当に残念でなりません。

2014年7月22日火曜日

センチメンタル寄り道



仕事で時々通る道ではありましたが、
何となく曲がるのを躊躇して止めていた場所。
午後の仕事まで少し時間があったからか、
何となくそんな気になったのか、今日は曲がってみました。
20年以上前、私が今とは違う仕事をしていた場所。
昔話の流れで当時の事にふれることはあっても、
それ以上話すことはずっと避けてきました。
上手く話せないこともありますし、
言葉にすることに躊躇もありました。
自分にとっては宝物のような3年間。
20年振りに訪れたその場所は、溜め池になっていました。
今でも強者になれない僕の夢の跡。

2014年7月17日木曜日

フィリップはご立腹

今日は珍しく外出の用事の無い定休日。
朝から店に籠ってひたすら事務作業と格闘し、
気分転換に駅前のBONさんへ。
有隣堂でエルデコを買い、アイスコーヒーでしばし休憩。
北欧デザインというタイトルに釣られて買ったのですが、
最も面白かったのが、フィリップスタルクの対談でした。

『クリエーションの世界に足を踏み入れ、ひたすら努力をし続けるとある瞬間に気付くんだよ』
『何にですか?』
『自分の魂を、人生そのものを売ってしまっていたことにさ。デザイナーと言うのは
自分の魂を、命を、ひたすら捧げ続ける職業なんだよ。生命を捧げ続けることで生命を獲得しているんだな、きっと。だからつまんねー作品を見ると批判以前に「あぁ、コイツは素敵なカフェでお茶でも楽しんでるんだろうな」と思っちゃう。

は、はい!すぐ帰ります!今すぐ帰ります!もうお茶しません!
すいませ~ん!お勘定~!

2014年6月28日土曜日

バストーク

僕がいつも通り深夜に帰宅してお風呂に入ると、長男がいつもトイレに起きてきます。
僕がいつも通り『ただいま~』とドアを開けて声を掛けると、
長男もいつも通りドアを開けて『お帰り~』と答え、
用を足し終わるといつも通りお風呂の前に立って色々な話をしてくれます。
それは友人との悪ふざけの話だったり、ネットで見た面白いネタだったり、
学校の先生がむかつく話だったり、話す内容は色々です。
無いのは色恋話くらいで、これは僕の息子だから仕方ない(苦笑)。
先日は高校3年生らしく進路に悩んでいる話でした。
『お父さんはさあ、俺が将来何になるか興味あるでしょ?』と聞くので、
僕はちょっと困りつつ、『う~ん、ごめん。あんまり興味ない』と答えたら、
『ちょっ!親でしょ(笑)、興味持とうよ』って言うので、ちょっと真面目に答えました。
『お父さんはさ、君がどの会社に入るとか、どんな職業に就くかは正直あまり興味ないんだ。
公務員でも良いし職人さんでも良いし、サラリーマンでもいい。大きい会社でも小さい会社でも良い。それはさ、給料が多いとか少ないとか、他人からみて自慢できるとかそういうことであって、君自身とは関係ないことだから。気になるのは君がどんな社会人になるか、なんだ。誰かの役に立てたり、誰かを幸せにできる社会人になれるかどうか、それはとっても気になる。
お父さんの周りにも色々な仕事の人がいるけど、素晴らしいなって思う人は会社の規模や職業じゃなく、その人の仕事への向き合い方が素晴らしいんだよ。だから会社や職業は何でも良いんだ。気になるのは君がそういう社会人になってくれるかどうかなんだ』
息子はちょっと困ったような顔をして『う~ん、ちょっと分かんないよ』って言ってました。
まあ、そうだよね。
でも、高3の春に父親を亡くした僕にとって、同じ時期の息子とそんな話を出来たのは、
ちょっと嬉しかったりしました。
さて、今夜もあと少しで12時。
深夜って人を素直にさせるから良いよね。

2014年6月17日火曜日

休憩中

















私たちの仕事は細かい計算をひたすら繰り返すので、
続けて机に向かうのは2時間位が限度です。
で、まあその合間に夜食を食べながらネットを見たりするんですが、
最近、大手不動産サイトを見ることにはまっています。
それも条件を1億円以上にした中古の戸建て住宅です。
本当にすごい家が目白押しで、楽しいやらため息がでるやら(笑)。
3億5000万の8LDK!とか、もう言葉もでません。
よせばいいのにローンシュミレーションとかやってみて、
興味本位で自分の年収を入れてみると
「収入に対してのバランスが悪いです」とかご丁寧に出てきて、
『知っとるわ!』と画面に向かって突っ込んだりします(笑)。
困るのがネットを開くと、画面の一部にその広告が出てくるようになっちゃったこと。
高級物件が、『ホレッ!これはどうだ!』『次のこれはどうだ!』って出てくるんです。
その10分の1でも買えませんってば(苦笑)

2014年6月13日金曜日

浜松パーキング


浮谷東次郎が『がむしゃら1500キロ』を書いたのはいつだろう。
自宅に着く頃にはトリップメーターは1100キロくらい。
本になるような旅ではなく、
あくまでも取付工事と出張ですが、
色々な方とお会い出来て中身の濃い二日間でした。
明日からまた頑張ります。
さて、あと170キロ。


2014年5月30日金曜日

昨日は定休日だったので早上がり(言葉が変?)

夕方から次男と二人で地元の海へ。
















『ショックリーダーは何で結んでる?』
『電車結び。十分?』
『十分、十分、でもさ、ほら電車結びって言うとカッコ悪いからトレインノットって言うの』
『トレインノット(笑)』
『そうそう、やって見せて。……あ、一気に引いちゃダメ。ラインは摩擦で結束が弱くなるから
ゆっくり引いて最後にグッと締めるんだよ』
『へえ~』
『投げてみな』
『お、いいねえ。投げきった後は竿先を下向けちゃダメ。放出した角度のままにして落下角度にそって落とす。トップガイドが抵抗になってスピードが落ちると距離が落ちるでしょ』
『ちょっとやってみる……こんな感じ?』
『うまいうまい。このロッドでこのジグは軽すぎてしならないから飛距離出にくいからさ、
 こうして「垂らし」を長めにとってむこうにポーンと軽く投げるの』
『投げるの?』
『そう。で振り子みたいに帰ってきて後ろにいったタイミングでキャスト!』
『おお~なるほど…?』
『今のはちょっと失敗(笑)』
『そうそうお父さん、あの道路の街灯に明かりが点くとアジが釣れるんだよ』
『へえ~そうなの?』
『地元のおっちゃんが言ってた』
『そうか』
『帰るか?腹減って死にそう』
『うん』



2014年3月3日月曜日

ミッキーと情熱大陸

一区切りついた夜11時。
コーヒーを飲みながら気分転換にちょっと一息。
テレビ番組の情熱大陸のアプリがあって、
これがちょっと面白いんです。
あの番組のオープニングを自分の写真で味わえるんですね。
で、やってみました。
写真を撮って職業欄にカーテンショップ+PLANオーナーと入れ、
性別を男性にしてスタート。
チャチャチャ~チャ~チャ~♪チャチャ、チャッチャチャッチャチャッチャチャ~♪
葉加瀬太郎のバイオリンをバックに始まりました。
斉藤靖の情熱大陸!
そして聞き覚えのあるあのナレーション!

『もう、2度と失敗しない』


え、え、え、え~~~何で~~~~~!
たくさんのバリエーションの中から適当に選ばれるみたいなんですが、
それはないでしょう~!(涙)

気分を取り直してさて仕事。















M様からご注文頂いたミッキーのカーテンです。
こちらはメーカー縫製のみなのですが、
仕上がりを少しでも良くする為にやれることはあります。
考えているのは仕上がり丈。
上部が吹き抜けの掃き出し窓にベストな寸法を決めています。
縮尺を合わせた四角を書いて、どこまで丈を伸ばしても平気かチェックです。
M様、楽しみにお待ちください。

これだけやってるのに、なぜあのナレーション…

2014年2月21日金曜日

ETCラプソティ

今日は朝から東京へ採寸へ。
いつもなら帰りは下道で帰るんですが、迷わず高速に乗りました。
なぜなら……工事用車にETCを付けたからです!(ドヤッ)
今まではどうしてたかって言うと、口で言ってたわけです。
『イ~(車を止める)』
『ティ~(お金を払う)』
『シ~!(アクセルオン!)』
でもこれだと時間はかかるし安くならないので限界を感じていました。
子供が小さい頃は、料金所で子供に見えないようにお金を渡してお釣りをもらい、
『ほかのみんなはお金を払うけど、お父さんだけはお金をもらえるんだぜ』
『お父さんスゲ~』
などど下らない嘘をついてましたが、もうそんな必要もありません。
そんなわけで、遠方のお客様のご来店もお待ちしております(笑)。

2014年2月13日木曜日

銀座勝負
















夜の8時の銀座。
現場のある雑居ビルの4階は高級美容室みたいで、
エレベーターには見るからに夜の銀座の女性らしき方も。
初めて見ました。
一階に着いたらサッと手で扉をガードし、
別の手をスっと伸ばして『どうぞ』ってやるんだと3階と2階の途中あたりで決めて、
2階から1階の途中で脳内シミュレーションを行い準備万端。
一階についたその瞬間に絶妙なタイミングで『←開→』ボタンに手を掛けたその瞬間!
『どうぞ』
先に言われた~~。
『あ、はい、すいません』
めっちゃ低姿勢!
そして振り返ってもう一度、
『あ、ありがとうございます』
お礼2回目!

銀座恐るべし!
そして、45にして完膚なきまでに負けてる俺恐るべし(笑)

2014年1月29日水曜日

過去の疑問を紐解きに…

採寸が終わった時にふと思い立って、
小さい頃父に連れられて訪れたX氏の自宅を探してみた。
X氏は設計士だった父が生前お世話になった方で、
当時の僕には予想もつかないお金持ちということは知っていたが、
父でさえ『何の仕事をしているか分からない』という謎の人物だった。

数年前、母から〇〇藩の家老の家柄と聞いたのでネットで調べたことがあった。
そこには確かにその家柄と、某新聞社の社主との繋がりが書いてあった。
このX氏の繋がりで、父は(僕にとっての)もう一人の謎の人物Y氏の仕事もした。
Y氏はX氏の隣の藩の藩主の家柄で、某総理大臣の子孫にあたる。
そして、そんな繋がりから父は某巨大商社の仕事をするようになる。

父の死後3年たったある日、その商社は私の家の経済状況を気にして、
当時大学生だった僕に東京の単身赴任寮の住込みのバイトを紹介してくれた。
給与ももらえて部屋はタダ。専任のコックさんが作る夕食もタダだった。
課長級以上しか入れない場所で、副社長や専務も居らした。
運転手つきの黒塗りの車で寮に帰られると迎えに出て、
部屋まで鞄を持つのも僕の仕事だった。
非常に貴重な経験の出来た一年だった。
でも今から思えばとても不思議な出来事だと思う。
江戸時代の藩の繋がりが、
現代、しかも経済の中枢でなぜ脈々と続いているのだろう?
なぜあんな巨大商社が小さな設計士の息子のその後を気にしたのだろうか。
父が亡くなって3年も経つのに。
僕が東京近郊の大学に入り一人暮らしをしていて、
家計も楽じゃないという事を知っていたのはなぜ?

記憶を頼りに車を走らせるとそこに門はあった。
山の麓にシンプルな門とX氏の苗字がかかれたシンプルな表札。
門から延々と山へ向かって伸びる道は、
竹林に阻まれてその先を見ることはできない。
思い切ってチャイムを鳴らそうと思ったけど、
その類の物はどこにも無かった。